KKさんてどんな人

KKさんプロフィール

作者:窪田皓一(くぼた こういち)愛称:KKさん 金沢市出身 1938年生まれ


大阪府在住 金沢大学工学部卒業後、大阪市内の大手重工業メーカーに入り、エンジニアとして化学製品を製造する装置であるプラントの設計に携わる。
退職後、青年時代故郷の山歩きに親しんだこともあり、山を買いしいたけ栽培を始めるも、腰を痛め断念。人生後半のライフワークとして色鉛筆画の制作に専念することに。

奥行きのある人

楽聖ベートーベンは臨終にあたり「諸君、喝采せよ、喜劇は終わりぬ」なる言葉を残しました。自分の病に対し無力な医者への皮肉が込められていたそうですが、彼は生前から冗談を言ったり、無遠慮な振る舞いをすることも多かったようです。人は皆それぞれ持ち味がありますよね。それによって悲喜こもごもの物語が生まれ、人生を全うした時にはどんな人でも一つの小説が出来上がるでしょう。ここに一人の味わい深い人がいます。つまり作者です。どう味わい深いかは今からつづる紹介文で皆さん其々が感じてみて下さい。つたない文章で十分にお伝えできるかどうか自信はありませんが。仲間内では作者のことを「KKさん」と呼び合っています。KKさんよりも5歳年下で、現役時代同じ部署に在籍し4つのプロジェクトで苦労と喜びを分かち合い、仲間の中でも一番お付き合いが長い通称「ハタやん」がKKさんの人となりをざっくばらんにお伝えすることにより、皆さんに身近に感じて頂こうとトライしてみました。退職後もお付き合いは絶えず、交友は50年におよびます。

            付き合いも 益々密に 半世紀

転機

1986年のことです。KKさんが突然「ハタやん、オレ会社辞めることにしたよ」「・・エッ!!」次の言葉がでません。KKさん「しいたけ作りでもしてみようかなと思うて」。当時親しい人達と北摂の山をハイキングがてら歩き、秋には「きのこ博士」と呼んでいたKKさんにきのこの見分け方を教えてもらっていたので、なるほど成算を見越してのことだと思いました。なぜ辞めるのか?聞かなくても見当はつきました。上司が凡庸であり、さらにその上のレベルまでが保身に走れば、委縮した風土が蔓延することはよく言われることです。とりわけ才もあり、やる気のある人にとっては耐え難く、リスクを背負ってでも、転機を求める人もいるでしょう。かくして長年指導してもらった先輩と仕事を共にできないことなり、当時も含め前後の数年間、私は海外を飛び回っていたので、再会できたのは奇しくもKKさんと同じ年齢で会社を辞め転職した1990年のことで、しいたけ山でのことです。

物事は基本こそ

しいたけ山には時々ご機嫌伺いに。植菌、原木運び、収穫作業などのお手伝いのごほうびに旨いしいたけにありつける下心があったことは白状しておきます。山にはKKさんが建てた作業小屋と呼ぶには立派すぎる建物があり、色々な種類の菌、栽培の道具、収穫品の保存室に加え、キッチン、調理器具、2階には寝泊りできる布団も。驚いたのは実験・研究のスペース。勉強の為入会した菌学会の文献が多数あり、栽培条件をさまざま変えた実験とそのデータも半端じゃありません。こうして独力での積み重ねの結果、しいたけの姿かたち、味、収穫量において他の業者さんとは比べ物にならないお値打ち品ができたのです。確かに山でとれたのしいたけを焼いてポン酢で食べればビールもすすみます。そうです、KKさんは基本に忠実で何事も深く掘り下げる姿勢を持ち合わせているのです。

尽きない好奇心

しいたけ栽培の休憩時には昔話に話がはずみます。ある時「ハタやん、実を言うと、オレ大学では地学か農学を勉強したかったんや」と。「なぜですか?」、「ハタやん世代には幼いながら記憶にあるかもしれんが、終戦後の食料の不足は相当なもので、食料を探して山を歩いているうちに、きのこに出会い化石を見つけたからなんや」と。なるほどKKさんの作品に「きのこ」が多いのも少年時代に焼き付いた思い出がなせるものなのでしょう。そのことをきっかけとして、生き物、宇宙など自然科学のあちこちに話が広がりました。また、趣味の範囲は芸術に広がり、特にオペラとバレエについての造詣も深く、自宅の大型画面で楽しんでいる姿を見かけたこともありますし、ある時「ハタやん、オペラを観にウイーンに行かないか?」と誘われたこともあります。こうした趣味や好奇心を深めることで審美眼が益々磨かれたのではないかと思いますし、話を通じて私が感じたのは自然への愛と命に対する慈しみの心です。

気むずかしい?

皆さん血液型で人様のことを知ろうとしたことありませんか?私も長く生き、多くの人とお付き合いし、ある程度付き合いを重ねる上で「あんた〇〇型じゃないの?」と尋ねて当たったことは、打率3割程です。かく言う私は楽天的で俗物的なO型ですが、KKさんはB型です。今までの人付き合いから、私なりにB型の特徴を一言で表すなら、あり余る個性と独特な感性で、それが言葉に出てきます。「そういう見方もあるのか」、「よくまあこれだけ掘り下げたものよ」、「いいこというなあ」など、感心させられる言葉が聞かれることが多いのです。あまりヨイショが過ぎると「ハタやんそれサクラじゃないのか?」と疑われそうですね。一方で「気むずかしいなあ」、「そこまでこだわるか」などもB型の人に感じられることで、我がKKさんにも時折そういう面が顔をのぞかせることもあります。

言葉を飾らない

また、場面によっては物事の本質を突いたストレートな物言いをし、付き合いの浅い人ならまごつくこともあると思いますが、物事をあいまいにせず、問題を先送りしないという姿勢から出るもので、相手を決してとがめるものではないことを私はよくわかっているのです。相手を思いやる心遣いも随分感じたものです。

失敗談義

「ハタやん、会社定年になったら何するんや?」「・・その時考えます」「後で気がつく何とやらにならんようにな」「オレも過ぎ去ったことを、今振り返れば失敗かどうか分からんけど、人生の節目で違った道を選んでいればと思うこともある。会社を辞めたことを決して後悔していないが、辞めるに至ったことは、当時としては漱石の心境に似たようなものがあったんや」と、<智に働けば角がたつ、情に棹させば流される・・・>という草枕の冒頭の一節をそらんじてみせた。「そりゃ失敗というより、人それぞれの持ち味がなせるワザだとおもいますよ。」月並みな言葉ですが「人は失敗から学ぶと言われます」。KKさん自身が失敗と受け止めている悔いがあるとするなら、それは絵のどこかに表れているにちがいありません。

自由闊達

KKさんに「なぜ絵をはじめたんですか?なぜ色鉛筆画ですか?」と聞いてみたことがあります。答えは「家で粗大ごみになるのを防ぐため」と、さらりと言ってのけましたが、単に照れ屋というのは当たりません。そこにはKKさん独特の美学が隠されているのです。そのことは鉛筆画というあまりポピュラーでないけど、小難しい約束事のないジャンルに飛び込むことによって、新たなる探求心を究めてみたいというロマンを感じさせるのです。「自由闊達」もKKさんの一つの身上です。

たゆまざる探求心

色鉛筆画を始めるにあたってNHKの通信講座に入会したそうですが、色鉛筆画専門のコースはなく、洋画の指導講師が作品を観て評価をするだけとのことです。画材は紙と鉛筆。紙にはパルプ製と綿製の2種類、さらに厚みや表面の粗さにも多くの種類があります。色鉛筆も色調のちがいはもとより、芯の大きさ、硬さにもさまざまなちがいがあり、紙もそうですがメーカーによってもちがいがあるそうです。どういうものを選べば、どういう出来栄えになるのか失敗を通じて試行錯誤を繰り返した結果、まったくの独力で一定の感触をつかみ、併せて作画の技巧を学びとったのです。精進は怠らず、このことは今も日々進化中です。自宅の2階にある8畳程のいわゆるアトリエを覗いたことは何回かあります。大きな作画机の上やその周りには色鉛筆、キャンパス材料などの他に、カバーをしていない絵が何枚か無造作に壁に立てかけられています。聞けば失敗作とのこと。素人目にはとてもそうは思えません。「どうするんですか?」「稀に作画途中で手直しできるものはあるが、それ以外は全部すてる」と。「もったいないなあ、僕にくれませんか?」「いや、失敗作は門外不出や」と。何回目かの個展で、あるプロの画家が「根気だなあ」とつぶやいたそうですが、精緻なタッチを評するに言い得て妙だと思います。

世に問うてみました

NHKの講座を早々に退会し、展覧会への出品を始めました。本来なら受賞歴を並べ立てるのが一番分かりやすい評価の物差しだと思いますが、KKさん、そんなの意味がないからやめておけと。ただ、本人に断った上で、上野の森美術館で何回か入賞作があったことはお伝えしておきたいと思います。また、個展は2007年に第1回を、そして2019年3月には6回目を開催します。

孤高の人

以上、作者の人柄・持ち味、考え方、絵への取り組み姿勢、背景にある多様な趣味・知識をご紹介させていただきましたが、いかがだったでしょうか?
おこがましいようですが、あふれでる人間臭さと生まれつき備わっていたであろう独特の感性とが融和したものが作者の作品に滲み出ているような気が私にはするのです。できれば平成最後の年となる来年3月の大阪での個展で、じかに作者の感性に触れてみられてはどうでしょう?最後にKKさんの今を表す一言、それは良くも悪くも”孤高の人”です。